『スガンさんのやぎ』のオチが悲しすぎるので、後半を創作してみた
『スガンさんのやぎ』は、アルフォンソ・ドーテの短編集『風車小屋だより』に収録されている作品の一つです。
絵本にもなっており、フランスでは知らない人がいないくらい有名だそうです。
日本の絵本でいうところの、『ぐりとぐら』みたいなものでしょうか。
日本での知名度は分かりませんが、私がこの作品を知ったのは最近です。
何かの記事で誰かがこの作品を比喩として使っていて、気になってググりました。
ご存じない方が多いと思うので、以下にあらすじを引用します。
読んで感じたことを箇条書きにするとおもしろいかもしれません。
いきなりですが、まずはオチをお伝えします。
スガンさんが可愛がっていたヤギがオオカミに食べられて死にます。
スガンさんはまっしろでかわいいヤギ、ブランケットを飼っていました。
ある日、ブランケットはスガンさんの畑に飽きて、遠くの山に憧れます。
「そんなところに行ったら狼に食べられてしまうぞ」というスガンさんの忠告に耳も貸さず、ブランケットは外の自由な世界に飛び出してしまいます。
そこでは何の囲いもなく、思う存分飛び跳ね、食べたいだけおいしい草を食べることができました。
きれいな花、たくさんの木々、カモシカの友だちにも出会い、ブランケットは生を謳歌するごとく山中を駆け回ります。
しかし、夕闇迫り冷たい風が吹く頃、狼は現れ、ブランケットを狙います。
勝てっこないと感じながらも、ブランケットは勇敢に最後まで闘おうと決心します。
雄々しく角をかざして、一晩中何度も何度も狼に挑みます。
そして夜が明ける頃、息絶えるのでした…。
(こちらから引用し、少し書き換えました)
絵本なのに、なんなのこの虚無感。
大抵の絵本はハッピーエンドなんじゃないの?
まずはそう思いました。
それから冷静になって、この物語の教訓は何なのかを考えます。
これを読んだ子どもはどう思うのでしょうか?
まずは「ヤギさんがかわいそう」と、ほぼ全員が思うでしょう。
大抵の子どもはここまでしか考えないかもしれません。
感受性豊かな子どもは、さらにヤギを自分に置き換えます。
そして教訓として以下を考えます。
①リスクがあっても挑戦する
退屈や束縛から解放され、憧れていた自由の身になっても、その分危険は存在する。
理想とする自由を得るためには困難があり、それを乗り越える覚悟が必要。
→ 夢を叶えるために努力をしよう!
②リスクがあるなら挑戦しない
自由を求めて行動したためにヤギは殺された。
そんなリスクがあるのなら、求めず無難におとなしく過ごした方がいい。
→ 夢を持たずにそれなりに過ごそう
極端ですが、ざっくり分けるとこの2パターンでしょう。
できることなら①の思考を持ってほしいものですが、そう上手くいくものでしょうか。
そう考えると、この本を子どもに読ませるメリットはあるのでしょうか?
ほとんどの子どもの思考は②になってしまう気がします。
そもそも、私にはこの物語の良さがどうしても分かりません。
なんというか、ヤギが殺されてしまうというただの悲劇でしかありません。
これを読ませるということは、親が一方的に子どもに悲しみを与えているだけのように感じます。
そう思ったとき、気づきました。
実はこれは親に向けた物語なのだということに。
親はスガンさんを自分に、ヤギを子どもに置き換えます。
①子どもにはある程度の自由が必要
檻に入れて縛り付けるのではなく、やりたいことをやらせてあげることも大切。
とはいえ、危険から守るためのしつけはしっかりとしよう。
スガンさんの気持ちも分かるけど、自由にさせることも必要。
→ 子どもの気持ちを尊重し、サポートをしよう!
②子どもは檻に入れておかないと危険にさらされる
自由にさせてしまったら危険にも飛び込んでしまう。
スガンさんに従わなかったヤギが悪い。
→ 子どもの気持ちよりも、危ないことはさせないようにしよう!
これも極端ですが、②の思考になってしまう親がいたらたまりません。
やはりこの作品の目的が分からない…。
日本の絵本はほとんどがハッピーエンドだと思います。
もしも、『スガンさんのやぎ』が日本の作品だったら、オオカミと戦うシーン以降はきっとこうなります。
ブランケットは思いました。
「このままでは負けてしまう…でも、その前にスガンさんに一目会いたい…!」
ちょうどその時です。
ブォーーーと、笛の音が山に響き渡ります。
いつも、ブランケットたちヤギを呼ぶときにスガンさんが吹く笛の音です。
オオカミが音の方向に目をやった瞬間、ブランケットはオオカミの首に噛みつきました。
「ウォオーーーン」
オオカミが声を上げて怯んだ隙に、ブランケットは懸命に走ります。
一度も振り返ることなく、笛の音の方へ全力で走ります。
「ブランケット!」
目の前にスガンさんが立っていました。
どれくらい走ったのでしょうか、ブランケットはいつのまにか山のふもとにいた自分に戸惑いましたが、スガンさんの顔を見て安心して駆け寄りました。
「スガンさん、ごめんなさい、勝手に外に出てしまってごめんなさい」
「いいんだよブランケット。私の方こそごめんな、もう窮屈な思いはさせないよ」
夜明けの太陽が抱き合う二人の涙をキラリと輝かせました。
勝手に創作してみました。
これなら、みなまで言わなくてもお互い良き所で折り合いをつけたことが伝わるのではないでしょうか。
ヤギはあまりワガママを言わなくなり、スガンさんはヤギをちょくちょく昼間などの安全な時間帯に山に散歩に連れて行ってあげていることでしょう。
絵本はとても優秀な知育ツールです。
しかし、伝え方によっては子どもを誤った方向に導いてしまうこともありそうです。
絵本は中身を確認してから読ませた方が良いでしょう。